26 Dec 2011

乱入!

停まってしまっているブログですが、久しぶりに書いてみる。
でも誰に向けたものでもなく、誰かに読んでほしいわけでもない
ただの個人的なメモ帳としての書き留めです。






2011年12月23日25時からのラジオ「バナナムーン」。
23日と言っても、実際は24日クリスマスイヴの深夜1時。
この日はTBSラジオ開局60周年記念企画という事で
ゲストにラジオヤリマンのサンドウィッチマンを迎え
この60年での日本や世界での歴史をTBSラジオを通して振り返るはずだった。
60年前の初めての放送の音源から始まり、ゲストを迎え順調に進もうとした時
突如みんなの驚きの声と共に現れたのが、石橋貴明。とマッコイさんと安西さん。
スタッフもバナナマンもサンドも誰も知らない乱入!生放送の醍醐味!


終止みんなの驚きと興奮と緊張の中、メールも読んでくれて
リスナープレゼントに首に巻いてたマフラーも提供してくれて
「石橋くんと木梨くんのオールナイトニッポン!」をちょこちょこ入れ
「それでは聴いていただきましょう〜」と昔の歌をリクエストしたり
荒らしまくってくれたタカさん。


途中で、とんねるずの大ファンのダイノジ大地さんはラジオを聴き
頼んだニラレバに手もつけずお会計だけして飲食店から駆けつけたが
その大地さんに「今ラジオやってんだから…」とずっと冷たくするタカさん。


そんな、その場にいる人たちもリスナーも大興奮のラジオが終わった後
録音された1時間弱のPodcastの内容をなんとなくメモっとく。


TBSラジオより


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設楽 乱入して来た時「えらいデカい人が来て、圧が。この圧知ってる!と思った」


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タカ「テレビはフレームの中に収まっちゃうのはつまらない。
   フレームからはみ出ないと。」


タカ「テレビに出た時にサイドブレーキを引く必要ない。
   テレビに出れなくなっても俺らにはライヴがある。
   ライヴが一番と思ってれば、テレビ局の人らは怖くなる。」


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タカ「『一気!』発売のとき(当時タカ23歳)秋元さんは20位以内に曲が入ったら
   ロレックスを買ってくれと。最初は119位だったのが5ヶ月かかって19位になった。
   で、初めて行ったNYで秋元さんに時計買ったんだよ。」


『雨の西麻布』は最初『雨の亀戸』だった。
タカの提案でまだスポットを浴びてなかった、よくいる西麻布に変更。


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タカ「今の状況に満足しちゃ駄目。それをヤッつけないと。」


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ラママの第一回ゲストはとんねるずで「一気!」を歌って帰ったが
忙しい時期でタカさん記憶になし。


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タカ「ラジオもテレビも捨てちゃいけない。
   若者はテレビをあまり見てないという言い訳で、13〜15%で満足しちゃ駄目。
   『家政婦のミタ』が40%取ったという事は、負けてられない。
   まとめる力があれば、可能性に突っ込んでいけば、
   たけしさんのようなスーパースターも生まれる。
   バラエティで40%も取れるはず。」
日村「自分をスーパースターと思ってないんですか?」
タカ「俺はやっぱ小心者だよね。スーパースターはやっぱ飛び抜けてる。
   もっとガーンっと行ければ良かった。自分がスーパースターだと思った事ない。」
皆 「いやいやいや。飛び抜けてるし、ガーンっと行ったし、
   スーパースターじゃないですか!目線の違いじゃないですか?」


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タカ「歌手でも俳優でもお笑いでもみんな、モテたい、いい車乗りたい、
   いい家に住みたいっていう不埒な考えだったはずなのに
   途中で『みんなに勇気を与える作品が作りたい…』に変えるな!って思う。
   俺は今でも不埒な考えが脈々と流れている。」
日村「タカさん全部叶えちゃったじゃないですか。いい女も車も家も。」
タカ「そんなに格好よくねーぞ。」


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タカ「謙遜じゃなく、俺はスーパースターにはなれない。限界点を感じる。
   資質はノリタケの方が上。あいつはこれからスーパースターになる。
   俺にはその資質がない。ノリタケはいいなぁ〜と思う。」

タカ「(プロになって)20歳から30年、今でもノリタケは東のNo.1だと思う。
   あいつは今そこ以上を求めてなくて、フラフラ〜としてるけど
   ちゃんと、よし!行ってやろうと思えばNo.1になれると思う。」


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タカ「コンビは半人前が二人でやっと一人前で出て来たのを頭に置いておかないと
   一人の時、俺はこの程度か…と思う。
   一人でもできればいいけど、ここで資質・センスが問われる。」


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タカ「俺はあと数年したらイタリアでも行って勉強して料理人やろうかな、と思って。
   料理って目の前で調理して客に出して「おいしい」って言われるのが
   お笑いのライヴと一緒だから、ちょっとやってみたい。」


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設楽「大物と絡むとき、ビビらないんですか?対等に行く感じってとんねるずだけな気が」

タカ「たけしさんからは、まだ素人時代「がんばれ!」と言われ、
   スタ誕でタモリさん赤塚さんから「おもしろいな」と評価してもらったから
   今でも会うと当時の記憶が強力によみがえり、適わないしバラバラになる。」


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タカ「小さい時にテレビで見ていた人たちに、若手の頃すげー優しくもらったから
   自分が「よく好きでテレビ見てました。あの時どんな感じだったんですか?」と
   訊かれたら、自分の経験、見た事、感じた事、当時いくら稼いでた、
   というのも全部伝えるようにしている。


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日村「二人ほんと仲いいですよね。ノリさんが何かやると笑うじゃないですか。」
タカ「ノリタケの凄さがわかってるから。
   いいコンビだと思うのは、良いタイミングでいい人たちに会えて、
   いい仕事ができたから、そういう意味でいいコンビかもな。
   その時代に、いい人たちと出会えたのが財産。」


タカ「ずっといい時ばかりじゃなく、必ず下がる時がある。
   その時に相棒を信じるしかない。焦ったり、一人でやって行くとか考えると駄目。」
伊達「そういう話ノリさんとするんですか?」
タカ「絶対しない!木梨さんこういう話大っ嫌いだから。
   俺とノリタケは同じ性格じゃないからいいんだよ。
   磁石だったら、プラスとマイナスだからくっ付くんだよ。」


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最後にバナナマンへのアドバイス

「今いいポジションにいるから、自分らがやりたい事やり続ければいい。
 いいコンビだし、いいバランスだから、自分たちの感性を信じて。
 で、たまに奢って。」


サンドウィッチマンへのアドバイス

「ネタは完璧だから、ネタ以外の時真面目になりすぎず。
 ほぼ犯罪者のような容姿を生かして、ガッと振り切らないと。
 チンピラ風のやばい危ない感じをもっと。」

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タカ「これは誰が聴いてるの?」

設楽「配信されて好きな時に誰でも聴けます」

タカ「恥ずかしいからやめて!なんで俺こんな話させられてるの?!」

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タカ「寝ろ!」

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という事で、JUNK本編でもPodcastでもサンド富澤さんはほぼ声が聴こえなかった。
また横で多重放送のようにボソボソ言ってたのかもね。



Podcast音源 ←1ヶ月限定配信。

10 Jul 2011

一人舞台

内村光良一人舞台『東京オリンピック生まれの男』を観てきた。

これは本当は3月16日からの公演だったものが、震災により延期になったもの。
場所は変わり、サンシャイン劇場になった。


ひっさしぶりの東池袋に降り立つ。
改札からサンシャインまでの地下道なるものができていてビックリ。
なんだか店も色々入っていて、東池袋とは思えない。
この駅は6年間通った思い出の駅なのに、なんだか知らない土地に来た感じ。
劇場ロビーに着くと、ウドちゃん発見。頭でバレバレだ。



今回の舞台、一人舞台という情報だけで
コントなのか漫談なのか芝居なのか何なのかさっぱり知らないまま観に行った。
結果、芝居とコントの中間と言ったら良いのか。
客層は30代40代の方が多かったように思える。男の人もまぁまぁいた。


東京オリンピック生まれ(ウッチャンと同じ)のある男の生い立ちを0歳から現在まで
語りながら、再現して行く。
途中アドリブなどもあり、語りがたまにヒロシっぽかったりもしたが
とにかく台詞の量がハンパ無い。
一人舞台だからそうだろうけど、約2時間20分ほんと一人!
そんなに長い公演じゃないけど、なんで途中休憩が?と最初思ったが
これは休憩入れないとできないね。だって一人でやってんだもん。
あとハンパない運動量!
バック転あり(もうすぐ47歳だぜ)ダンスあり、ピアノも3回くらい弾いていた。
喋りながらも階段を上ったり、下ったりで、とにかくずっと動いていた。
色んなパロディというか、ダンスも真似ていた。
(トシちゃん、マイケル、雨に唄えば、ブレイクダンスなど)
よく声が出るよく動くおじさんだ。全公演終わったらゲッソリしそうだ。

そして最後は挨拶がてらちょっとだけトーク。
初日はバック転を失敗し、頭から落ちたそうな。怖いなぁ。
途中客が変なとこで笑って「ん?」と後ろのスクリーンを見るが分からなかった様子。
途中休憩でなんだったのか誰かに聞いたのだろう。
そう。ジャージからの衣装チェンジで、また色違いのジャージだったからですよ。

正直内村さんとは言え一人なのはどうかな〜と思ってたけど、
ウッチャンらしさと動きの良さと笑いと最後ちょっと感動で楽しめた。
あっぱれ!!!



余談:途中休憩で外で一服してたんだが、そこにウドちゃんが来た。
ウドちゃんはテレビで見るまま、予想通りのいい人だった。
見知らぬ客にいきなり「ウドちゃん今日一人?天野君は?」とタメ口で聞かれても
「そうなんです。今日は一人です。」と丁寧に答えていた。
そして会場に戻る時、トロトロ歩いてるあたしを後ろから小走りに来てあたしを追い越したのに
再入場の際、お先にどうぞと譲ってくれた。親切な方だ。
本気出せばすごい強い人なのに、心優しい。ありがとう。

15 May 2011

99先行即売会!

興奮冷めやらぬうちに・・・

今日5月15日(日)は
ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.3のリスナー限定先行即売会でした。
有楽町ニッポン放送に朝10時までに来た人の中から抽選で99人だけスタジオ内に入って
トークを聴いたり本を直接本人達から買って触れ合えるっつーね。

前回は行ってないし、今回も特に行く気はなかったけど
せっかく近くだし、暇だから行ってみようと思い立ち、朝方眠りについたものの
4時間しか睡眠取れない、寝坊したらアウトだ、と遠足の前の日の子供のように興奮してしまい
1時間おきに3回も途中で起きるというはめに。それも毎回変な夢ばかり見て…

腫れぼったい目をこすって、ざっと化粧して、整腸剤飲んで9:20am頃自宅を出た。
すでに長蛇の列が周辺ビルを含めた一区画を1周+折り重なるようにできていた。
直射日光を浴び、空腹と腰痛でフラフラしながら並ぶ事1時間45分。
ニッポン放送の隣りが消防署だったため、ラッキーな日かも!と思ったが
抽選結果はハズレ。そりゃそうね。きっと1500人以上いたもの。


 でもハズレた人も整理券番号順にまた並べば、本は買えて
スタジオの外からガラス越しにチョロっと見学できる。
再集合時間まで2時間以上あったので、一旦家に帰る。近くて良かったわー。
ビッグマックセットとチョコレイトシェイクを買い、自宅で昼食。
はっきり言って本はそんなすぐ欲しいわけじゃなかった。
また戻って並んでも外から少ししか見れないなら、もう眠いからやめようかと思った。
でもナイナイは今まで生では一度も見た事もなく、これからもなかなか見れないし
せっかく珍しく朝早く起きたし、家近いし・・・ってことで行く事に!
シェイクのせいで腹痛の予感がしたんで、また整腸剤飲んでね。

本を無事買い、ガラス越しにスタジオ内の様子を立ち止まらず、歩きながら見れるという
昔、日本にパンダが初めて来たときの上野のパンダ見学のような状態で見てきた。
ゆっくり歩いて2分弱くらい見れたかな。
中ではスタジオ内に入れた99人の人が一人づつ、やべっちに腕枕をしてもらい(座った状態で)
岡村さんから本を手渡され握手をしてもらっていた。
やべっちの事はチラ見程度で、ずっと岡村さんを凝視!!
5m先くらいにいたおっさんは、そこまで小さいか太ってるかもなんかわからんけど
自分と同じくボーダーを着とった。仕事モード中だったのでテレビのままだったな。
でも二人とも40歳くらいには見えないね。
坪倉大臣がチラッと確認できたな。でもあとは岡村さんしか見てなかったので…。


まぁ抽選はずれたけど、一応生で見れたし
普段見れないヘビーリスナーであろう人たちがどういう人達なのか見れておもろかったかも。
男の人が6〜7割だったな。30代が多そう。10代はあんま居なそうだったな。
地方から来てそうな人もチラホラ。あの中にハガキ職人もいたんだろうなぁ。
最近ミーハー再熱で困った女ですよ。

つーことで、昼寝!




余談:
先日、高円寺Highにて女王蜂とMJQとキノコホテルのライヴ行ってきました。
ドラッグクイーン君頑張ってたよ。ギターの子が男か女か不明だった。
ミチロウとやら方の歳&背にびっくり。ライヴハウスの音の悪さにがっかり。
キノコはほとんど見ずに(トリだったけど)タイ料理屋で3人で変な話ばかり。
ちょっとしか見てないけど、高円寺はまた今度昼間に見てみたいね。

13 May 2011

Rock'n Roll on 2nd May.

5月2日は忌野清志郎ロックンロールショーin武道館でした。

武道館はむかーしむかし、入学式で行った以来。
ライヴなどで来た事はなく、まぁほぼ初武道館と言ってもいいくらい。


開演30分前に着いたもののグッズ売り場への列は長く、並んでたら始まっちゃうんで
とりあえず進んで行くと、奥で義援金BOXが並んでいた。
いくらだろうと寄付金を入れると、この日だけ配られるバッヂがもらえる。粋だね。


震災後あちこちで義援金を募ってるけど、やっぱ自分にとって意味のあるところから送りたい。
「お笑い」「舞台・映画」そして「ロックンロール」


そして入場すると、これまた清志郎の手ぬぐいを配ってくれた。粋だね。
あたしの席は2階の後ろの方で、メイン舞台を斜め後ろから観るような良くない席だったけど
別で行った友達はアリーナの前から2番目だったらしい。景色は全然違っただろうな。

まずは以前の武道館で使った映像から始まる。
武道館の外から清志郎が愛自転車で入ってきて、舞台裏に着き
さぁ始まるぞ!と舞台に上がるところまで流れる。
きっと誰もが思ったよ。本当に来てくれそうだって。天国から駆けつけてくれたって。
もう初っぱなから涙をこらえるのが大変。泣かせてくれる演出だぜ。




セットリストやゲストの面々はこちらで→ http://natalie.mu/music/news/48919




ざーっと感想を書くと、

なかなかライヴを観に行く事が今までもこれからもなさそうな人たちを観れた。

金子マリっていうおばちゃん格好良かった。

途中のコメント映像のノリちゃんの「清志郎・・・さん」の間が良かった。

黒柳さんの「あなたが言ってくれてたの全然わかってなかった。ごめんね。会いたいです」
というコメントにまた涙腺ゆるんだ。

泉谷しげるのおっちゃんイカしてた。「安全だって言うなら、お台場に原発作れよ〜!」

サンボのブサイクの言葉がなぜかグッときた。

矢野顕子を聴くと、どうしてもモノマネを思い出してしまい、自分の感性を疑った。

YUKIが天使のようだった。あのムチムチ感はたまらない。

『スローバラード』を民生が歌ってくれて良かった。


そして一応トリはクロマニヨンズ。
それまでみんな(客層は30~50代の人たちが多い)横ノリな感じで、手拍子をしながら聴く
という、あたしにとっては「おお。なんだこの感じ。」と最初戸惑うノリだったけど
クロマニヨンズは、そうはさせなかった。
ガンガンに音を鳴らして、横ノリ&手拍子の客を→縦ノリに強制するかのように。
他のゲスト達が大体2曲づつ歌ってたがクロマニヨンズは3曲!!
それも『Remember You』を歌ってくれないという、ヒロトらしい演出。憎いね。
ヒロトはいつもの軍服シャツ。マーシーは珍しくヒョウ柄。
やっぱ一番清志郎の思いを受け継ぐ、と言ったらアレだが、魂が似ているのは彼らだね。
普段はクロマニヨンズやハイロウズのライヴには足を運ばないらしき周りの人たちも
「おおお〜!すげ〜!さすがだ!カッコイイ!!」と唸っていた。
だって悪いけど、この豪華メンバーの中でも彼らは特別ですから。
私的に。いやきっと一般的に。


色んなのを聴けたけど、タイマーズの曲をもっと聴きたかったね。


そして色んなゲストたちも言ってたけど、
今現在、清志郎さんが生きていたら、何を思い、何を訴え、何を伝え、どう行動してたか。
今の日本の現状を天国からどう見てるのか。
この日武道館で感じ取れた気がします。






6時間のライヴのあと、グッズ売り場に行ったけど、結局パンフレットしか手に入らなかった。
ちょっと無念。でもいいの。物より思い出。感じれたからね。

20 Mar 2011

君のため




君のため/THE BLUE HEARTS

作詞作曲/真島昌利


もう泣かないで 月がとてもきれい
こんな素敵な夜なのに 涙なんていらない

もう抱きしめて 二度と離しはしない
たとえ地球が砕けても 金がなくても

すがりつく 腕が欲しいなら
僕のこの腕で そうして欲しいずっと Baby Baby

ああ 君のため 僕がしてあげられることは
それぐらいしか 今はできないけれど

「好きです 誰よりも 何よりも 大好きです
ごめんなさい 神様よりも 好きです」

頬うずめる 肩が欲しいなら
僕のこの肩で そうして欲しいずっと Baby Baby

ああ 君のため 僕がしてあげられることは
それぐらいしか 今はできないけれど

17 Mar 2011

2011年3月11日。

東北地方・太平洋沖地震が起きてもうすぐ1週間。
まだおとといに起こったかのようなのにもう1週間。
でもまだ毎日の余震と警報と刻々と変わる状況下に、遅く感じる時間。

日本観測史上最大のM9.0とその直後の大津波。
三陸沖、茨城沖、長野、静岡と多数の震源地。それによる広範囲の被害。
正しく戦後最大の日本の危機。
海外でも騒がれている原発の問題もまだ解決せず
停電や放射性物質の問題や恐怖が関東全域にも広がる。



3月11日はいつものように昼まで寝ていた。
そろそろ起きようとウダウダしてるときに揺れ始めた。
寝起きだったが、すぐさまこれはデカ過ぎる!とうとう関東大震災か!
終わるかも…と頭の中でよぎる中、ポコを抱えて後ろで180度揺れる額をおさえていた。
姿見が倒れ、必死におさえてたポコが凄い力で逃げてしまう。
真っ直ぐ歩けない中ポコを追いかけ洗面所へ。
何をしたらいいかわからなかった。逃げるべきか、マンション内の方がいいのか。
もっと大きいのが来るのか。為す術無いのか。何を最初にするべきかわからない。
とりあえずポコを守るというより、一緒にいたかった。死ぬ時は一緒に。
エレベーターが停まったという館内放送。
また大きな揺れ。とりあえず振り子状態のデカイ額を下ろす。
リビングではテレビが移動し、消防車が落ちている。
冷蔵庫の上にあった大きい消防車も落ち、窓が勝手に開いていた。
ポコは猫トイレの入ってる戸棚の奥の方で壁の方向いてじっとしている。
実家に電話をしてみた。そのときはまだ家の電話は通じていて母親と少し話せた。
ベランダに出てみるとお台場方面に黒煙。

テレビを付けたら緊急ニュースだらけ。津波が来ると言ってる間に東北に到達。
携帯が通じないため、パソコンのネットに繋げてみた。通じた。
地震発生から30分。それから恐ろしい事態だという事と最悪な光景が1日中続く。



エレベーターが停まり(結局復旧したのは次の日の午前11時頃)
携帯の通話もメールもうまく行かず、部屋で一人きり、
幸い電気が大丈夫でネットも繋がっていたので
今回TwitterやFacebookやmixiといったSNSが非常に役に立った。
みんなの安否確認、テレビとは違う今の生の状況、そして何より繋がっている感。
実は前日にSNSなどに全く登録してない友達と
そういったものは本当に必要?なんて話をしていた。
次の日にこんなに必要だと思うとは。SNSの本当の使い方・良さをやっと知れた。
特に一人暮らしでこうまで余震の恐怖と戦わないといけない中、
また直後は携帯も使い物にならなく、今もなるべく使用を控えた方がいい中
誰とも話せず、誰とも会えず、テレビに恐怖を煽られる中
とても励みになったし、ネットの向こう側だとしてもそこに友達がいると思えた。
だからこの1週間あたしは阿呆みたいにたくさん呟いている。寂しさと不安を拭うために。
あとテレビでは色々情報が遅い。判断も遅い。動きも遅い。どの局も同じ内容ばかり。
Twitter上では若者が中心に一早い情報、被災地の状況、やるべき事、やらないべき事
注意すべき事、今本当はテレビがやるべき事、批判しない心、譲り合い協力する心がある。
それを1日〜2日遅れてテレビが訴え始め、情報提供しだす。遅い!

東京は大きな被害はない。
東北のために何ができるか皆が悩んでいたが
うちら東京や近郊に住んでる者にとって一番やるべき事はまずは節電。
福島の田舎にある原発が悲鳴をあげている。東京電力は頭を抱えながらも頑張っている。
福島の人たちは避難したり、原発からいつ放射性物質が放たれるか不安と戦っている。
その電力を一番使っているのは東京。そして埼玉・神奈川・千葉などの人口の多い地域。
遠い所での問題ではない。うちらが今まで普通に使い過ぎていた電気は計り知れない。
しばらく節電するのなんて、東北の被災地にいる人たちの事を考えたら簡単なこと。



うちの地域は計画停電の対象外。他の地域に比べて不安がひとつ少ない。
恵まれた環境なので、できる限りの事をしたい。
地震後は一切暖房はつけず、使ってないコンセントは抜き
電気は照明ひとつとパソコンまたはテレビにして、極力2つ多くて3つだけ。
うちはオール電化なので、水を使うのにもお湯を出すのにも全てが電気頼り。
なので水道も節約。テレビも音量は小さめにし、明るさもおさえる。
便座などもOFFにし、風呂には水を溜めっぱなし。冷蔵庫は付いてるけどね。

とやってると、寒さ以外別に苦じゃない。
普段からそんな料理しないし、電気煌煌と付けてないし
トイレ回数少ないし、シャワーだって毎日入らないと嫌!とかないし
洗濯も10日に1回で十分だし、至っていつもと同じ生活。
食い物も米さえ食ってりゃ平気。普段もヘルシーな物食ってないから
急に今レトルトとか簡易的な物にして具合悪くなるなんて、もちろんなし!
外に出れなくても、引き蘢りなんで問題なし。

ほふく前進で廊下から部屋の方をのぞく。
ポコは寒いのとなんか怖くて寂しいので、いつも以上にベタベタ。
ただ少しでも家がミシッとなると洗面所へ一目散。でもすぐに出てくるようになった。
最初の地震があった日は、24時間後にやっと部屋にちゃんと戻ってきた。
24時間ほぼ洗面所にいて、飲まず食わず、トイレにも行かなかったほどの臆病者。
人間の子供への接し方と同じように「大丈夫だよ」と声をかけるようにしている。
自分にも言い聞かせるように。
少し落ち着きはじめて、遊んでるのを見ると安心する。
洗面所から絶対離れず不安そうだったとき。



批判するのは良くないが、今こんなときに個人の家や、会社や店などで
暖房つけたり、いつもと同じくらい明かりをつけてる奴いるのかな?
この前通院してる病院行ったら、患者も少なめで電気も暗めだった。病院も頑張ってる。
あたしからすれば毎日シャワー入らなくても大丈夫でしょ?とも思うが。
節電節水をいつも念頭におきながら、働いて頂きたい。プーより。

3月11日の夕方の東京の空

自粛や不謹慎やらの判断も色々言われてる。
お笑いを愛しているあたしは尊敬できる芸人という職業についている方達に
今こそ出番だ!この恐怖とストレスと不安と苛立ちの中にいる日本人を笑わせてほしい。
こいつら馬鹿だな、とチラッとでも笑顔になれば、人の心はすごく救われる。
そんなの不謹慎だ、笑えない、と言う人は見なければいい。聴かなければいい。
被災地の人たちはまだまだそういうのを見る環境にも心境にもないかもしれない。
でも暗い中暗い気持ちで暗い話題ばかりで暗くなってると良くないからね。
実際阪神大震災のときも笑いに救われた人は多いと思う。
ACのCMじゃないけど、心遣いと思いやりを持って笑わせて欲しい。
それがブラックでもおちゃらけててもアホらしくても下らなくてもいいから。


責めるのではなく、何でも不謹慎で片付けるのではなく、
個人個人がちゃんと正しいものを判断して、 できる事はあるんだから。
自分のことだけ考えず、みんながやってるからと流されず、買い占めなどせず
節電節水を苦に思わないよう、普段から心がける。
東北の被災地の人たちは、電気も水も食料も飲み物も着替えも希望も失っている。
そうじゃないうちらが協力し強くなり、まだ希望も未来もあることを伝えないとね。
神の存在なんて信じてなくても祈ればいい。
偽善行為と思われるのが恥ずかしくても、迷惑じゃない偽善をやってみればいい。
金に余裕がある奴は義援金を送ればいい。
血が有り余ってる奴は献血に行けばいい。
それも全て、この報道されてる今だけじゃなくて、せめて今年いっぱいは持続させて。



余震が続くけど、一人でも多くの人が助かり、生き抜き、希望が持てるよう。




サンドウィッチマンが呼びかけているもの→ http://amba.to/ifbLkJ
KERAさんも参加してる舞台人映画人のもの→ http://www.emimusic.jp/itoshiki/

19 Jan 2011

16-17th Delhi

16日Sunday

11:30amのフライトに乗るために、15分の仮眠をして家を8時半に出発。
前夜から東京に来た友達と。さすがに眠い。
空港でSethiさんと合流。結構検査が行列で走って搭乗口へ。

10時間半のフライト。眠くてほとんどうたた寝状態。食事はしっかり食いつつ。
飛行機の中では見たかった「Kick-Ass」と「The Social Network」がやっていたので鑑賞。
映画館で見なくて良かった。飛行機レベルでした。
その他にもネプリーグやアメトーークやM-1グランプリ07〜09をやっていた。

19:00デリーに到着。ゆるい税関を通り荷物を取りSethiさんが見当たらないので
ちょっとづつ外に出たが見当たらず。父親からのインド携帯の電波がない。
電話もできないし、中には戻れないのでずっと外で待つもいない。
1時間後くらいにやっと合流。どうやら中で待っていたらしい。
SethiさんのGurgaonの家に着き、奥さんのSumiさんに初めまして。
夕飯は奥さんが作ってくれた。
セティさん家は広くて綺麗でお湯も出て快適。
前日寝てない状態なので、とにかくずっと眠かった。就寝。


17日Monday

まず運転手さんに携帯のSIMカードを買いに行ってもらい、10:30頃出発。
まずはクトゥブ・ミナール(Qtub Minar)へ。Rs250.
意味をなしていないセキュリティゲート




なんだか高い塔。昔は登れたらしいが事故があり今は登れないとな。
登れても登らないけどな。

そしてLotus Templeと呼ばれるバハーイー寺院へ。
でも月曜が休みなので遠目から写真をパチリ。
オペラハウスみたいね

フマユーン廟(Humayun's Tomb)へ。Rs250.

友達がトイレに行ってる間に犬の親子を撮る。



 子犬たちが豚のように吠えて戯れあっていた。

友達がなかなかトイレから出て来ないので見に行くと
鍵が開かなくなったようで閉じ込められていた。

庭が広くて綺麗。そこの庭でSumiさんが作ってくれたサンドイッチを頂く。
小さいシマリスがいっぱい寄ってくる。


急な階段。



ピクニック中かい?

インド門(India Gate)に行くも26日の共和国記念日への規制で入れず。
ジャンタルマンタル(Jantar Mantar)天文台へ。
奇怪な建造物がいっぱい。デカイ遊具のよう。普通の寺院などより興味深し。

グロテスクな花
がいっぱい!!








コンノートプレイスに移動しぶらつくも、面白みのない店ばかり(日本でもあるような)。
と思ったらおっちゃんにTourist Informationに連れて行くとしつこく言われる。洗礼だな。
インドのマックには警備員
ガイドに書いてある本屋カフェのOxford Book Storeに行ってみるも
なんだか仰々しく荷物を預けたりチェックが厳しいので、やめてみる。
ODEON Cinema発見!懐かしい。
運転手さんが教えてくれたUnited Coffee Houseでチャイとフレンチフライを頂く。
ちゃんとしたレストランぽかったのでちょい高め。

その後Ambience Mallのスーパーをのぞいてみる。
着色されすぎ。
Crisps


Ketchup
Cup Noodle
Rice
vegetables
ライチジュースと日清のインドカップ麺を購入。夜食に今度食ってみよう。
夕飯は奥さんのチャイニーズ料理。
テレビではゴールデングローブがやっていた。
が、腹が痛くなりトイレへ。早速壊した。でも日本でもよくあるんでね。


イタリア旅行同様、途中途中ですぐ腹が減る。夜食がないのでお菓子で我慢。
まだ本格的なインド料理を食ってないな。
よく食い、よく歩き、よく眠る。