19 Apr 2010

イタリア紀行vol.1 Italy

さて本日6月19日。ちょうど2ヶ月前のことを書きます。
日記と写真と地球の歩き方を片手に思い出していきます。
(will write in English soon but not now, sorry!)


今回は久しぶりの両親との家族3人旅行。
父親の運転するレンタカーでの旅は最後かも、という事で結果
毎日移動し街を変えるハードなスケジュール。
もし飛行機や車で家族3人に何かあったら!という母親の心配癖で
出発前に友達連絡表やら遺書を書かせられる。遺書って・・・。

シチリアと南イタリアの旅。
このコースは10年ほど前、イギリスから友達と行った事がある。
しかしお金のないバックパックの旅で、予想より寒く風邪をひき
ちゃんとした物も食べれず、疲れ果て、最後の方にひどい体調を崩し
すごい思いでイギリスに帰って来た覚えがある。
ロンドンに着いてから、吐き気・頭痛・腹痛・目眩・動悸・息切れ・震え・熱で
車がビュンビュン走る道路の真ん中に座りこみ、ゲロ袋片手に真っ青な顔して
やっとの思いで友達の実家に着き、挨拶もしないままベッドに直行した。
友達があたしの分の荷物も全部持ってくれていたが
その友達も友達の両親も、この子死ぬんじゃないか、と思っていたらしい。
確かに自分でも死を近くに感じ、「死にたくない!」とやたら思っていた。
でもすべての激痛・苦痛から逃れたくて、無性に誰かにぶん殴られたかった。
気絶してすべてから解放されたかった。


そんな旅から10年。同じようなルートを行く。
今回は両親との旅で、レンタカーでの移動と良いホテルなので
安心しきっての出発。 が・・・のっけから色々あるのである。


※旅行中の写真には、ちょいちょい両親が見切れてるかもしれません。
 その辺はちょいちょい無視してください。






4月19日。
スーツケースに入れるものはとりあえず詰めたが
手荷物やらの準備はほとんどしてなかった朝。
前日までヨーロッパ行きの飛行機は1便も飛んでなかった。
(忘れてる方もいるかもだが、アイルランド火山灰のためね)
19日当日も相次いでみんな欠航。ANAとJALのイタリア行きも早々に欠航を決めていた。
成田空港のネット上の出発便情報には、うちらの便(アリタリア)は『未定』の表示。
旅行代理店の人も、まだ良くわからないとしか言ってくれない。
出る10分前に『定刻』の表示。両親から「行くよ」の電話。
本当に飛ぶかはわからないまま、急いで用意し成田エクスプレスに乗り空港に到着。
カウンターに行くと普通にすんなりチェックイン。
カウンターの人は「飛びますよ」という答え。え?!
なんだか疑いをかけながら搭乗手続き。そして何もないかのように飛んだ。
イタリアの空港は閉鎖解除を出したかわからないまま飛び立つ。
ザ・ちゃらんぽらんな国、イタリアのアリタリア航空。ぶっ飛んでる。

両親はビジネスクラス。あたしはエコノミーで。それもそんな混んでない。
途中で父親と席を代わって、ビジネスでわーい!と平になる座席を体験しつつ。
アリタリア航空CAのおしゃべりさを体験しつつ。

まずはローマに飛び、乗り継ぎシチリアのパレルモへ。
このパレルモ空港まではツアーの日本人客もまぁまぁいて
うちら個人旅行も一緒にまとめられたりしてたが
空港を一歩出てから、ずっと日本人を見なくなる。

初日はMediterrneoホテルという旅行代理店が手配したホテル。
修学旅行生などがたくさんいるユースホステルに近い感じ。
夜遅くに着いたので、とりあえずこの日は就寝。



4月20日。
朝食に行くと、イタリア人の中学生か高校生みたいな修学旅行生でわんさか。
父親とレンタカーをピックアップしに行く。
そしてパレルモ(この街はシチリアで最大の都市だがスルー)から車を走らせ南下。
父親は運転役。あたしは助手席でナビ役。
いつもレンタカーの旅は、あたしはうしろの席で移動中はすぐ爆睡なんだが
今回はあたしはイタリア語通訳を大きな役割として行ってるので
助手席に指定され、寝れない状況。地図と標識のにらめっこ。


高速からずいずい小さな道へ進み、誰も行かない方へ。
丘の上の小さな小さな町パラッツォ・アドリアーノに到着。
ここは『ニュー・シネマ・パラダイス』の舞台。
教会のある小さな広場と数件のお店と住宅だけの町。
人口も少なく、広さもなく、活気もなく、店もあまりない。
この広場以外になにかあるのかなぁ、と歩き出すと通りすがりのおばさんに話しかけられる。
うっすらヒゲの生えたおばさんはどんどんイタリア語でしゃべってくる。
町の人以外は映画の舞台という情報を頼りに来る観光客なので
ここがトトがいた家に使われた家だ、ここがあの場面に出てくる場所だと
一生懸命説明してくれる。ただ10年イタリア語をやってなかった者にとって
一割しか理解できない。広場のインフォーメーションに連れて行かれる。
映画の撮影時の写真などが飾ってある。そして家族全員名前を書かせられる。
訪問者に書いてもらってるらしいが、それを見ると3、4日に一組の観光客。
車でしか来るのも大変だし、あまりに小さな町なのであまり観光客は来ない模様。
おばさんに何か食べたいの、と言うと案内してくれた。
電気もつけてなかった、開いてるのかわからない小さな店。
おじいさんが出てきた。開いてるのか!!
パニーニやらモッツァレラグラタンの入った揚げ物などを食らう。
何も得にないので次の町へ向かう。花がいっぱいの田舎道を。


アグリジェントに到着。ここも旅行代理店のホテルで、少しレベルアップしたが
まだ修学旅行生はいる。フロントの人は英語ができた。
中心から離れていて、わかりにくいのでタクシーでホテルから中心地まで。
向こうに見えるのは海。アフリカに繋がってるはず。
メインというとこを歩くが特に何もなし。レストランも少ない。
とりあえず夕飯に一軒入るが、あまりおいしくない。


イタリアは夜レストランが開くのが8時からと遅いので困る。
店はシエスタで午後1時〜4時まで閉まってるとこも多い。
同じおっちゃんにタクシーで迎えに来てもらうと助手席に奥さん。

毎晩ここから22時〜24時には就寝し、朝7〜8時に起きるである。
日本の生活ではありえない早寝早起き。健康的。
そしてトリプルルームなのだが、大体はツインかダブルにエクストラベッド。
誰が一人離れたとこに寝るかが問題。
両親はイビキをかくが、あたしはかかない。
しかし父親のイビキが気になる母親は隣りに寝たくないので
大体あたしと母親か、あたしと父親のセットで寝る事になる。
こちらからすれば、どちらもイビキがうるさい!耳栓が欠かせない。

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